遠距離恋愛
そのうちの一人、ヒロコは結婚式で誓いの言葉を交わす。
「病めるときも、苦しいときも、富むときにも、貧しいときにも・・・(そんな感じの牧師の言葉)あなたは彼を夫として一生愛していくことを誓いますか?」
「誓います」
ヒロコはお互いを愛し、その後一生仕え合っていくことをみんなの前で誓い、その歩みをスタートする。ヒロコの人生がまた新しくなった瞬間だった。今までの自分とはまったく違う自分。ヒロコは彼がアタシを変えてくれたんだって言う。ヒロコはその後もなにがあっても彼のことを捨てず、いつも彼のことを考え、理解していく努力を惜しまなかった。ケンカもあり、苦難がつきまとう中、彼のことがよくわからなったときもあり、傷つけるようなことも言ったときもある。でも彼女は日に日に彼のことを知っていくたびその魅力の虜になる一方だった。ヒロコはその後も、ずっと彼のもとを離れず、いつも彼とともに歩み続けた。ヒロコは言う、その日々を振り返るとその歩みにはいつも幸せがつきまとってたって。
もう一人の女の子ナオミ。
彼とは街でナンパされたのがはじめ。そのうちになんだか付き合ってんのか付き合ってんのかよくわかんない、あいまいなまま一応付き合ってることにしといた。そして、妊娠。今流行りのできちゃった婚に突入。とりあえず、一緒にいて楽しいし、なんでもお願い聞いてくれるし、頼もしい彼。悪い気はしない。さっさと結婚式をすまし、ラブラブな新婚生活。
でもナオミ、惚れやすいのね。友達のパーティーとかつきあいでの合コンなんかでカッコイイ男がいるとこでは、いつも旦那はいないと言ってる。めんどくさいからね。そのうちどんどん他でも男つくって、遊びまくる。でも困ったときだけ旦那のもとに帰ってきて泣きつく。そんなナオミにあきれはて、傷つきながらも、旦那はずっと忍耐し彼女を捨てようとは思わなかった。
はい、コレ。2人の対照的な女の子のライフ。どう思う?
これはただ単にオレがパッとでっちあげたテキトーなストーリーなんだけどさ、なんだと思う?
これ現代のクリスチャンなんだよ。
ばいぶるのいろんな預言者の書簡で神は“夫”でイスラエルやユダを“女”にたとえてるんだ。さらに、そいつらを、お前ら風俗嬢だ!ヤリマンだ!一体何人の男と寝たら気が済むのよ?頼むから帰ってこいよ。って言ってんだよね。ホセアとかエゼキエル16章とか23章とかがメインにそんな情景に例えられてる。
エゼキエル16章を例に取るとすれば、神はエルサレムっていう女の子が血まみれで裸で歩いてたのと通りで見つける。その彼女に「生きるんだ」と声をかける。その後もずっと見守られ、胸も大きくなり、大人の女になった彼女は恋をする季節。それでも彼女はまだ裸だった。そんな彼女を彼は優しく衣で覆った。ルツ記3:9でもあるけどね、この衣を広げて相手を覆うっていう行為は結婚の申し込みのサインなんだよね。神はイスラエルの国を妻との関係のように、彼女を選んだんだ。
それにも関わらず、その女の子(イスラエルね)が見た目に自信がつき、お金持ちになってくるとね、だんなさん(神)を裏切り、頼らなくなり、むしろまわりのエジプト、アッシリヤそしてバビロン人と乱交パーティーを始めることになっちゃって、すっかり堕落しちまったんだ。
そういうイスラエルとユダの王国の様子が列王記にガッツリ書いてある。歴代史はユダ王国の様子だけをもうちょっと詳しくって感じで。
そのだんなと妻の別居時代が始まるときがある。それが紀元前586年にバビロンがエルサレムを2年半の末攻め、みんなを捕囚としてひっぱちゃっていったとき。そこから70年妻は家を追い出され苦しむことになった。
失って初めて気づく大切なものってあるんだよな。
その後自分の家に帰ってきたあと、他の男たち(他の周りの国々、偶像)に頼ることは歴史上なくなった。
クリスチャンってどういうことだろ?
オレはねー、神さまと遠距離恋愛にある関係だと思うんだ。もしくは単身赴任生活?彼をとことん愛して生きるヤツ。一生一緒に歩む関係。だけど少し遠く離れていて、直接は会えない。いつか早く会いたいと切に願いながら、心はいつも近くに歩み続ける。彼は何を考えてるのかを理解しようと努力し、彼の願うとおりに共に歩んでいく道。
洗礼ってなんだろ?
オレははっきりとキミが好きだよ。付き合って。結婚して。って宣言して結ばれた関係をスタートする場所だと思う。洗礼を受けなくても、彼とラブラブな関係続けていけるさ。でも付き合ってんだか、付き合ってないんだかあいまいな関係でいくより、はっきり好きです。彼と一生一緒に歩みます!ってバシっと宣言して歩むのとは全然違うでしょ?その自分の人生をだれに捧げて歩むか、その献身、Commitmentがここにある。
祈りってなんだろ?
今や、ネットがあり、ケータイがあり常にどこにいてもだれかと話せる便利なハイテクな時代になった。
でもね、この地球が作られたときからこのかたずっと、古代からずっとそんなもんよりハイテクなコミュニケーションの仕方があったんだよな。
それが祈り。
赤ちゃんがケータイの使い方のわからないジジイになるって記事で祈りについて昔書いたわ。
昔あった、ケータイの家族割りとかラブ定額とか入ってなくても、オレらはこの祈りっていうスピリチュアルケータイでいつも神とラブトークがどこにいてもいつでも、タダでできるってわけ!!お得感たっぷりだな、おい。(笑)
礼拝&ワーシップってなんだろ?
これはもう最高の時間。デートの時間だ。
これは日曜だけってワケじゃない。生き方そのものかもしんない。たまにビシっとナイスに決めたり、カジュアルだったり、その人のスタイルによって違うだろうけど、相手とともに時を過ごす時間だよね。大好きだよってことを体全体で表現するのがワーシップでしょ。
でもクリスチャン、デートのときだけカッコよく決めてもダメなんだよ。それが日曜だけ教会きてるいわゆるサンデークリスチャンだよな。
「あたし、ジーザスと結婚するからイイの〜☆」
とか言ってる女の子。日曜日に“主よ、あなたを愛します〜”とかって、デートの雰囲気が盛り上がってるときにさんざんイイ感じのこと言っときながら、どれだけ多くの人が次の日の月曜日からすっかりアタマから抜けてることか。
浮気生活始まり、始まり〜。
証って?
他の人がもっと自分の知らない彼のイイ部分を教えてくれるんだよな。だからもっとスゲー、カッコイイって思うんだ。証で自分の不幸な人生、ワルな人生タラタラ9割くらい言う人もいるけども、要はポイントはいかに彼が自分を変えたか。彼がカッコイイかを証明するんだよね。
伝道って何?
こうイメージしてくるとさー、そんな難しいことじゃないと思うよ。
自分のだんなさん紹介すればイイんだから。好きなんでしょ?惚れたんでしょ?そのどこがカッコイイのか友達とかに言えばイイだけなんだよ。
だから、オレの周りでオレがクリスチャンだってこと知らない人はいない。バイト先でも、面接の段階から話題になったりするし、マネージャー、店長まで知ってる。学校の先生や友達。その他のスクールとかの先生とかもね。美容室に行ってシャンプーしてもらいながらも、フツーにジーザスの話が出てくる。
楽器屋に行っても、店員とかが、“ねー、タスクくん、最近は教会でライブとかイベントないの?”って聞いてくる。美容師も松倉くんの行ってる教会ってとこに行ってみたいなーなんて言ってくる。
なーんかね、かしこまってやる必要なんてないよ。だれも、結婚してますか?だんなさんてどんな人ですか?って言って、隠す人いないでしょ?隠すとしたらなかなかひどいよな。(笑)
でも結構多くの人は、自分がクリスチャンであることを隠してたり、恥ずかしい思いをしているつもりになっている。でも結構それ、相手にしてみたらひでー話だよね。自分が好きな人に思いっきり目の前で拒絶されてみ?そんな感じだろうよ。
聖書はラブレターだって耳にタコができるくらい聞くよね。一生生きてるうちにどれだけの字を読むんだろう?間違いなく聖書のページ数以上は超えるよね。でも一番大切な人からのラブレターをほっといて、オレらきっとまっさきに他の人の手紙とか読んでんだよ。人生の生きる道が書いてあんのに、これを早いうちに読んどけば生き方わかって、その先もっとどう生きたらイイかわかるのに、それをどんどん後回しにしてるんだよ。そして困ったときだけ、さんざん他のことに浮気しておいて、戻ってくる。
ヒロコの結婚生活でもたとえたけど、オレらクリスチャンで生きているときにも、神の存在がわからなくなったり、ホントに愛してくれてるのか心配になったり、神様に文句を言いたいほど意味もわからずつらい日がくるだろう。でも、このばいぶるというラブレターの中に、その一つ一つの理由と弁解が書かれている。あのときは、私はこんなことやってたんだよってこと。
ときにその御顔を隠したと書いてあるときもある。人々を訓練するために。
これを読めば読むほど、彼の真実さ、カッコよさ、忍耐強さ、愛の深さがどんどんわかっていく。
やっぱりいつも彼は正しかった。オレは何も彼のハイレベルすぎる愛の1ミリもわかっていなかった。だからあんな文句が言えたんだよなっていう、自分のおろかさに気づいてくるんだ。
だからもっともっと彼のことを知っていきたい。愛してるっていうからには、口だけではなく、実際の行動で。生き方で。
彼を愛していきたい。一番近い理解者であるように、オレも彼の心を理解していきたい。
どうだい、みんな。
都合のイイときに神さまを取ってくっつけるような恋ではなく、
神を愛してるかい?











